タミル・イーラムや南オセチア、ダルフールなど。
FIFAから閉め出されている代表チームによる、もう一つのW杯
ニース市周辺地域の代表、カウンテア・デ・ニッサは急遽参加を決めてチームを組んだとは思えないまとまりのよさを見せて優勝した
ワールドフットボール・カップとは?
2014年6月8日、スウェーデン中部、サープミ(英語でラップランド)にある街、ウステルスンドのヤムトクラフト・アレナでの決勝で、カウンテア・デ・ニッサがエラン・バニンをPK戦で下し、第1回ワールドフットボール・カップ優勝の栄冠を勝ち取った。決勝戦にふさわしい緊張感のある好試合で、どちらのチームも最後まで攻撃的に戦い抜いた。
と、ここまで読んで「ワールドフットボール・カップって何?」「いったいどこのチームだ?」と読者は思われただろう。ワールドフットボール・カップとは、国際サッカー連盟(FIFA)に加盟していない国、地域や団体の代表チームが参加するサッカーの国際大会である。
そしてカウンテア・デ・ニッサは南仏のリゾート地として有名なニース市周辺地域の現地語の呼称、エラン・バニンはイギリスとアイルランドに挟まれたアイリッシュ海に浮かぶマン島の現地語呼称だ。ワールドフットボール・カップにはこの2チームのように、長い歴史の中で独自の文化を培ってきた地域や民族の代表として、世界各地から12のサッカーチームが参加した。
大会を主催したのは、コンフェデレーション・オブ・インディペンデント・フットボール・アソシエーション(以下ConIFA)。スウェーデン人のペール‐アンデルス・ブランド会長、ドイツ人のサシャ・デュエルコップ事務局長が中心となって2013年6月設立。本部をスウェーデンに置く。
FIFA加盟承認には政治や理事の思惑が働く FIFAが加盟承認の原則として挙げているのが「国際社会に主権国家として認められた国のサッカー協会であること」だ。だが、209の加盟協会の中には、この原則に沿わないところが英国の4協会をはじめ、香港、台湾やパレスチナまで23もある。
一方で、米国や日本をはじめ107ヶ国に独立国として承認されているコソボ共和国はFIFAに加盟できていない。その理由を「国際連盟に加盟承認されていないから」とFIFAは説明する。
だが、太平洋に浮かぶキリバス共和国については、国連に加盟しているにもかかわらず、「定期的にリーグ戦を行っておらず、国際試合ができるホテルがないなどインフラが整っていない」という理由でFIFAは加盟を承認していない。インフラを理由にあげるなら、英領モントセラトの加盟承認をどう考えたらいいのだろう?
モンテセラトではリーグ戦は行われず、インフラも十分ではなく、国連に非加盟だ。つまり、FIFAの加盟承認には政治や決定権のある理事たちの個人的思惑も含めた恣意が働いている、と考えざるをえない。
FIFA非加盟の国際組織は、実は10年以上前からあった。フランス人のジャン=リュック・キット、モナコの旅行代理店を経営するクリスチャン・ミシェリとベルギー人の弁護士リュック・ミッソンの3人が2003年に創設したニュー・フットボール・フェデレーションズ・ボードだ。
NFボードと略して表記される組織名には、NON FIFA(FIFA非加盟)の意味が含まれる。ちなみに創設者の一人のミッソンは、ジャン=マルク・ボスマンの代理人として、EU加盟国の国籍を持つサッカー選手が移籍により大きな自由を得ることになったボスマン判決を引き出したことで有名だ。
NFボードは2006年以降ほぼ隔年でVIVA W杯という国際大会を世界各地で開催し、男子だけでなく女子の大会も開催するなど盛んに活動していた。VIVA W杯には、欧州、アジア、アフリカ、南北米大陸から最多で15チームが参加し、FIFAから閉め出されている人々にとって、サッカーを通して自分たちの存在と文化を世界に示す大切な場になっていた。
ところが創設者であり運営責任者である3人の関係が悪化し、2013年3月についにNFボードは解散してしまう。組織の趣旨や運営方法をめぐる対立ではなく、個人的な感情がこじれての仲違いだったという。
ConIFAにかける会長の信念 そこで新たな組織の立ち上げに名乗りを上げたのが、VIVA W杯第一回大会から審判として参加し、NFボードの運営にもかかわってきたブランドだ。事業開発コンサルタントであるブランドは、ビジネスとして持続性を持たせれば、グローバル化が進んだ将来には、少数民族や独立「国」や共同体によるサッカー協会をまとめる組織は、FIFA以上に大きな規模となる可能性がある、と考えた。
だが、ビジネス以上に創設に向けて彼を突き動かしたのは、個人的な経験に基づいた信念と、40年以上かかわってきたサッカーへの愛である。「サーミ人の両親からノルウェーで生まれた私は、3歳でスウェーデンに移住後酷いいじめにあってきた。殴られ、服を破かれる暴力ならまだいい。目には見えない差別にどれだけ苦しめられたか。グレてもおかしくなかった自分を救ってくれたのがサッカーと音楽だった」という。
人種、民族や宗教による差別に苦しむ人たちが、自らのアイデンティティを見出し、それに誇りを持ち、世界に向けて自分たちの文化を訴える力を、サッカーは与えてくれる——それがブランド会長の信念となった。
現在、ConIFAには22のサッカー協会が加盟している。今回、ワールドフットボール・カップに参加した12の代表チームを、そのサッカーとともに紹介してみよう。
加盟メンバーは大きく3つのタイプに分けられる。第一に、独立を宣言し国際的に承認もされているがFIFAには加盟できていない「国」。
アゼルバイジャン共和国西部にあるアルメニア人のナゴルノ・カラバフ共和は、1991年にアゼルバイジャンからの独立を宣言、現在は自治を行なっている。駆けつけた70名のサポーターは、自国では公の場での露出を禁止されている国旗を振り、選手とともに高らかに国歌を斉唱した。
熱い応援に後押しされ、国内リーグの精鋭が集められたという選手たちはキックオフ直後から猛ダッシュを繰り返し、ピッチを広く使ったサッカーを見せた。惜しいのはスタミナが最後まで続かず、後半終盤に押し込まれての敗戦が多かったこと。結果は9位。
独立「国」でも加盟承認されない不満 グルジア共和国北東部、カフカース山脈南側の山岳地帯にある南オセチア共和国は、91年にグルジアからの独立を宣言。
国民の大半がオセット人というイラン系民族の正教徒だ。選手はスキルがあり、パスをつなごうという意識が強かった。結果は4位。
同じくグルジア西部でロシアと国境を接しているアブハジア共和国も91年に独立を宣言。アブハズ人が大半を占め、公用語はアブハズ語とロシア語。小柄ながらスピードのある選手を要所に配し、大柄でテクニックに長けたワントップのエースにクロスを入れて点を取らせる戦術で戦った。
「ビザ取得に苦労し、大会2日前にやっとチームが組めた。もう少しいいサッカーが見せたかった」とベズラン・グブリア監督は悔しそうだった。結果は8位。
独自の行政府と軍隊を持つイラクのクルド自治州代表クルディスタンは、応援も含めて熱く激しいチームで、全員テクニックがあり、戦い方も統一されていてレベルが高かった。
監督に聞いたら、イランのチームでプレーしているクルド人選手も混じっているというし、サポーターたちからも「イランとかイラクとか呼ばれるのは心外だ。俺たちクルドの代表チームだ」と何回も言われた。結果は5位。
このタイプの独立「国」代表チームの不満は、すでにFIFAに加盟している国と独立をめぐってもめていると、加盟が妨害されることだ。結果的にであっても、FIFAが現体制側を支持し、独立を求める側を切り捨てている、と彼らは批判する。
「我々は独立国で、国の代表としてサッカーをしたいんだ」というナゴルノ・カラバフサッカー協会コーレン・ヴォーニオン事務局長の言葉は重みがあった。
サッカーはディアスボラにとって宗教 第二に、領土を持たないが、世界各地に根を下ろしている少数民族のディアスボラ(国外居住者)のチーム。
アラメア・スルヨエとは、イエス・キリストとその使徒たちが話したとされるアラム語を共通言語とした古代アッシリア人、アラム人の血を引き、キリスト教を信仰する民族、とサッカー協会の理事で監督のメルケ・アランに教えられた。
現代ではアッシリア人と呼ばれることが多い彼らだが「どの国のパスポートを持っていても、アラメア・スルヨエはキリスト教とサッカーによって一つになる。我々にとってサッカーはもう一つの宗教だ」とアランはきっぱり言った。
ドイツやスイスなど7ヶ国から招集された選手たちは、試合を重ねるごとに連携がよくなり、南オセチアと対戦した3位決定戦では、緩急のある攻撃で4点を奪ってその実力を示した。結果は3位。
タミル・イーラム(「タミル解放の虎」の意味)は、スリランカ北部と東部、インド南部にいるタミル人の国外居住者によるチーム。独立を求めて戦った内戦(1993〜2009)をきっかけに世界各地に散ったタミル人が、サッカーを通して民族としての誇りを世界に伝えようと結成された。開会2日前に各地から集まった選手たちは、残念ながらコンディションが整わなかったようで、結果はふるわず11位。
第三に、現在属している国から独立する意志は希薄だが、独自の言語と文化を持つ民族であること、または思想や信念に基づいた共同体であることを世界に伝えたいというチーム。
オクシタニアは南仏のオクシタン語を話す民族のチーム。「オクシタンと言ってもフランスでさえ知らない人が多い。サッカーを通して我々の文化を世界に知ってもらいたい」とディディエ・アミエル監督は言う。
サイドにスピードのある選手を配し、巧みなパス回しとドリブルで攻め込む攻撃は迫力があった。ただ身長が高くない選手が多いためか、ハイボールを放り込まれるとあっさり失点する癖があり、結果は7位。
サッカーが共同体の結束を強くする イタリア北部を流れるポー川流域の平原を意味するパダーニアは、イタリアの連邦制を主張する極右政治団体「北部同盟」の支援を受けているが、監督や選手は口を揃えて「政治はまったく関係ない。俺たちはサッカーをしているだけ」と強調した。
イタリア代表のエース、マリオ・バロテッリの弟で、イタリア三部リーグでプレーするイーノック・バルアーがチームに加わったことでメディアの注目を集めた。各選手はテクニックに長け、戦術が浸透した組織だったプレーでプロリーグのチームに遜色ないレベルを披露した。
だが優勝候補筆頭にあげられる強さにおごったか、必死さを欠いたプレーが散見され、ほかのチームと違って試合を重ねるごとにチームがばらばらになっていった印象を持った。結果は6位。
サープミは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがるサーミ人の文化地域を代表するチームで、地元ということもあって試合には大勢の地元サポーターが駆けつけた。だが、地域リーグがシーズン中のため選手の大半が招集できず、学生主体で戦ったためか最後まで勢いに乗り切れなかった。結果は10位で、地元の期待に応えられず。
準優勝のエラン・バニンはまとまりのあるよいチームだった。農業と牧畜しか産業がない小さな島では、大半の若者は大学進学で島を離れて島外で就職する。昨秋、大会参加決定後、クリス・バス監督は米国や英国在住の若者たちに連絡を取って選手を選抜。クリスマスに帰島したときから練習を始めた。
グループリーグ第1試合でナゴルノ・カラバフに試合終了間際に逆転勝利して勢いがつき、試合を重ねるごとにどんどん内容がよくなっていった。中盤でチームの攻撃の指揮をとっていたジャック・マクヴィ選手は「僕らは幼いときから一緒にボールを蹴ってきた。チームワークはたぶんどのチームにも負けない」と胸を張った。
参加メンバー全員が一つの共同体 そして優勝したのは、ダークホースだったカウンテア・デ・ニッサだ。正直、初戦の対エラン・バニン戦を観たときには、決勝まで行くとは予想しなかった。参加予定だったケベックがカナダサッカー協会ともめて直前に参加を取りやめたため、ニッサは4月半ばに急遽参加を表明。
サッカー協会を設立するところから始めたという。
ニース市の協力を得て、社会人リーグや学生から選手を選抜。初戦で敗れた直後から、クールダウンとは思えないほどの熱心さで練習し、2戦目で強豪パダーニアに逆転勝利して勢いに乗った後は快進撃。
決勝戦はニース市内の会場で大勢の市民がパブリックビューイングで観戦し、優勝が決まった瞬間は大歓声があがった。「我らの代表チーム」が、地域共同体への誇りと一体感を抱かせた瞬間だった。
米国のCNNをはじめ、フランス、英国、ドイツなど各国大手メディアが本大会を取り上げたが、その理由はチャドにあるダルフール難民キャンプ内の選抜チーム、ダルフール・ユナイテッドが参加したことにある。
スーダン西部のダルフール地方で、ジャンジャウィードという民兵による非アラブ系住民の大量虐殺が始まったのが2003年。隣国チャドに逃れたダルフール難民のキャンプでは食糧も医療も不足し、難民たちがジャンジャウィードの襲撃に怯えながら暮らしてすでに10年以上がたつ。
米国の支援組織i‐ACTと、ConIFAのメンバーたちの尽力で参加できたチームの中には、スパイクを初めてはいたという選手もいるくらいなので、チームは2桁失点を重ねて最下位で終わった。だが、ダルフール・ユナイテッドが参加したことは、ConIFAのメンバーにとっても非常に大きな意味と意義があった、とデュエルコップConIFA事務局長は言う。
「準優勝のエラン・バニンが表彰式でダルフールのユニフォームを着たことに見るように、ダルフール・ユナイテッドへの支援のもとに参加メンバーは一体感が持てた」
ワールドフットボール・カップのスローガンは「サッカーでボーダー(国境、辺境、境界の意味)を越える橋を架ける」だ。ダルフール・ユナイテッドの選手たちを囲んで、オセット人、クルド人、アッシリア人など参加メンバーたちが記念撮影する様子を見ながら、この大会は、国境だけでなく、人種、民族や宗教の違いによって今世界に作られている境界に、人と人とをつなぐ橋を架けた、と思った。
ConIFAは来年欧州のメンバーによるチャンピオンシップの開催を予定し、すでに準備に入っている。ワールドフットボール・カップも隔年で実施する予定だ。また「サッカーだけではなく、文化交流イベントや教育プログラムも実施していく。その一つとして、毎年60名の若者たちの交換留学プログラムがすでに動き出している」とブランド会長は言った。
異なる文化に生きる人々をつなげる活動の一環としてスポーツがある——ConIFAの基本理念は国際的スポーツイベントの将来のあり方を示唆しているのではないか。
text by 実川元子
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9064668/


W杯本来の在り方ってこういう事なんだと思う。商業的要素が大きくなりすぎるから、メッシがMVPなんてなことになるんじゃないの?…。